街頭演説についてのアレコレ

さて今日もヨシヅヤさんの前をお借りして街頭演説を行ってきました。天気もよく暖かくて今日は気持ちがよかったです。しゃべってる合間にはいろんな方からお声がけいただき、また昨日に続いて今日もあたたかい缶コーヒーの差し入れを頂戴いたしました。ご近所の皆様には本当に温かく迎えていただき、ありがたい、ただその一言に尽きます。

しゃべってるとき私は何を考えているか?

さてこの街頭演説中、しゃべっている間の私が何を考えているか?ということを今日は書いてみようと思います。皆さまにはなんの興味もないといわれそうですが。

そして結論からいうと、あんまり何も考えていません。っていうとちょっと語弊がありますね。

もうちょっと丁寧に説明しますと、しゃべっていることそのものについてはほとんど考えていません。チラシ作ったりしている間に頭の中にだいたい収まっているので、わかりやすいようにしゃべろう、と思っているくらいのことです。もし、恥ずかしいとか考えはじめたら、とても街頭演説なんてできなくなります。

じゃあ考えているのは、なに?

通りかかった人が駐車場からスーパーの入り口にたどり着くまでの10数秒のうちに、何かひとことでも心に刺さると良いなぁと思っています。そのため、無駄な言葉を極力排除して「ショート&シンプル」にしようとか、もっと感情的にできないかなぁ、といった表現の仕方をアレコレと試しています。自分が気に入ったら、あるいは通りがかりの方から興味をもった視線を向けてもらえたら、成功!みたいな感じです。

気にしているのは、視界に入るお買い物にこられる方々の姿。

今日は休日ということもあって、今日はお子さん連れで買い物に来られるかたが大変多くいらっしゃいました。だいたい小学校低学年以下。主には幼稚園くらいのお子さんを連れてこられているご家族です。中学生~高校生くらいの子どもはほんの数人だけ。そのくらいの年齢の子供たちって家事とかあまり手伝ってないんですよね。

その次に、ご高齢のかた。手押し車を押してこられるおひとりの方もかなり多くいらっしゃいます。まとめてたくさんのお買い物をされ、帰りはタクシーで帰られる方が今日の3時間のあいだで2回もお見掛けしました。ご近所さんやご家族の方が付き添われていました。日常の買い物をすることも楽しみのうちなのだろうなぁと思います。ちょっとだけですがタクシーに乗り降りする際、お手伝いさせていただきました。

たまに面白い出会いがある

今日は「桂川」さんと出会いました。この辺りでは珍しい苗字、ということでたまたまご自宅に届いたチラシを目にして、そして今日このヨシヅヤ前でわたしが居たので声をかけてくださいました。わたしもビックリしました。その方もわたしも、苗字が珍しいから調べてみたことがある、という共通の経験があることで話が弾みました。

徳川家に仕える幕臣桂川氏は中原氏と称したといわれる。桂川姓は岐阜県に集中しています。岐阜県内では下呂市、旧郡内では萩原町が分布の中心です。つまり、桂川姓の全国分布の中心は、萩原町で萩原町内、桜洞地区、羽根地区、西上田地区に多くなっています。熊﨑や細江と同様に、三木氏の家臣であり、萩原町の旧家・桂川家(屋号「大家おいえ」)に伝わる家系図によれば「天文年間の初頭、江州北郡の住人・伊藤但馬守藤原直堯が三木氏の家臣となって飛州益田郡桜洞村に移り住み、その嫡男・五良右衛門(五郎右衛門とも)が古川の戦場で敵方の武将・逸見桂教院を討ち取ったので、三木自綱から桂川の苗字を与えられたのが飛騨桂川氏の始まりという。」と記されているそうです。参考資料:下呂市萩原町吾郷武日氏HP、萩原町史(平成14年発行)
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E6%A1%82%E5%B7%9D

特にオチはありません。

そんなわけで、今日は面白い出会いがあった一日でした。チラシ受け取ってくださったかた、ご興味を持ってくださったかた、ありがとうございました!

ちょっとだけPR

従兄の熊崎光夫さんがカッコいい!インタビュー記事になりました。よろしければこちらもどうぞご一読ください!
また地域の方々と一緒になって「羽根道楽」という日本酒も作っています。入手困難ですがこれオイシイですよ~!

「俺たち人間は退化しとる」飛騨のウシ飼いが語る”土と内臓”の話

関連記事

地方議会DX

後援会活動

ブログ

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


TOP
TOP