議員定数と報酬の議論について

議会は代表民主制による民主主義の実現のための主権者の代表機関である。
執行者である市長とその補助機関である行政に対し、機関対立によるコントロール機関としての役割、ならびに政策形成機関としての役割がある。二元代表制であるため、直接選挙された長と議会がおかれる。これは相互の抑制・均衡を通じて、民意を反映した行政が行われることを期待する仕組みである。

議会の役割
「住民福祉の向上」を目的とする自治体の議決機関である。
・「監視・批判・修正・代案提示など」条例と予算承認を中心とした意思決定を行う。
・市長と違い執行権はないため、実務は行わない。

地方自治法において、人口により議員定数の上限数が定められている。
・住民の声を効率よく反映するため
・効率よく議決するための議会制である

「議会=政策形成機関」モデル
議会が立法権を行使して政策立案をしていくべきであるというものである。このモデルには、専門職としての議員像が適合的であり、議員身分の常勤職への転換や議会補佐機能の強化など、特に議会事務局の強化が重視される。

「議会=コントロール機関」モデル
首長の政策決定・実施を監視・統制するところに議会機能の重点を置くべきであるとするものである。このモデルでは、むしろ素人としての議員像が想定されており、夜間議会・休日議会の開催、兼職禁止の撤廃、報酬の低廉化などの課題があげられるとされる。

わが国の地方自治法は、アメリカ大統領制のようなタイプの首長制を採用しているのではなく、議員内閣制的諸要素-議会の不信任と長の解散権、長の議案提出権や議会招集権など-を取り入れた、結果として長の権限を大きくしている日本型二元代表制を採用している。

こうした現行制度を前提とすれば、首長部局の政策形成・実施の公正・合理性を担保する監視・統制型の議会機能を重視し強化することが、現段階では重要と考えられる。これはしかし、政策形成機関としての議会を否定するものではない。首長の政策決定・実施を適切に監視・統制していくためにも議会が独自の政策立案能力を保持して代替案を提示しうる機能を充実させていくことが期待されるといえよう。

議員定数の議論に入るまえに
・議員は、選挙選出された代表である。
・議決機関は議員による合議体である。
・自己決定の多数決が議決である。

自己決定を行うにあたってのプロセスは①調査・②分析・③判断の3ステップに分割できる。

①調査ならびに②分析についてはその視点の持ち方が重要であり、実務そのものは外注可能な単純作業になる場合が多い。そのために政務調査費という枠組みが用意されているとも考えられる。

そしてもっとも重要なのはそれに基づいた③判断である。これら3つのステップを充足することが議員の資質向上であるといえる。

議会の質は、議員の定数が多い少ないによるものではなく、この3ステップをしっかりと行っているかどうかにかかっている。

議員の質の向上
当然のことであるが、議会には公共性があり、アカウンタビリティ(説明責任)が求められていること、プロセス(過程)の開示によるトランスペアレンシィ(透明性)の徹底により質の向上が可能である。

裏を返せば、アカウンタビリティとトランスペアレンシィが無ければ、代表制民主主義の機関として認められるものではない、ということである。

流行する議員定数削減
こうした点から鑑みると、近頃流行している議員定数の削減論は大変危険なものである。

そこには大前提となる「議会機能の質」の確保を無視したところから始まっており、個別の問題にひっかけられて乗せられてしまっている。「あなたたちばかりが税金という、みんなが嫌々支払っているお金を受け取っていてズルイ」という感情的なものが根っこにあるように思えてならない。

減税の嘘
多くのひとが「減税はいいものだ」というアタマになっているが、本当にそうだろうか?と猜疑心をもって立ち止まって考えてもらいたい。おそらく年収1000万を超える所得の人たちにとっては得になるだろうが、年金生活を送っている人にとっては目に見えない大きな負担になっているはずである。

どういうことか。

様々な社会制度(保育、学校、介護や医療)は税金をもとに運営されており、多くの人はそのサービスの受益者である。しかしその負担はいったい誰がしているのか、ということである。国保医療であれば窓口負担は3割であるが、では残りの7割は誰が支払っているか、というと行政であり、それはつまり国民健康保険税という税金である。

主な税金である所得税には累進性があり、また固定資産税は資産を持っているひとに課税されている。つまり年金生活者などの、所得が少なく固定資産の少ない人であれば、納税額<サービス受益、となっているはずである。本来、そのような立場の人が言うべき意見は「累進税率をもっと上げて、所得の少ないものに分配せよ」という再分配機能の強化を求めるべきであろう。しかし実際には庶民の感覚は完全に逆行している。行政もいろいろな福祉政策を撤回し、行政サービスを縮小する方向へと進まざるを得ないのである。

いっぽうで大きな所得を得ている高所得者層は減税により大きな効果を手にしているが、こうした事情も解っているためあまり減税を快くは思っていない。庶民には数万円が大きな金額に映る。しかしそれが実際に手元にきても、その一瞬の目に見える喜びの陰には将来の安定を失っているのである。庶民は減税というまぼろしを支持しているのである。

こうした状況を作り出してしまった以上、それを甘受せざるを得ないのが選挙である。
民主主義の限界点は「住民の声」を反映する選挙にある。

「住民の声」の届く議会とは
議会でもよく「住民の声」という言葉を使われるが、それは何かというと、地域内住民が行政に対する利害関係をもつ者、としてとらえることのできる意見である。これらは次の3つに分類可能である。

・地域(コミュニティ)によるもの
  ※後述
・同じ課題をもつ集団(グループ)によるもの
  例)障害者、子どものいる家庭、高齢者など
・理念、主義主張(イデオロギー)によるもの
  例)政党、支持者など

議員の質に注目することから議員定数について述べてきたが、ここでは議員の代表性を検討したい。

地域代表性、集団代表性、理念代表性それぞれに強い特色をもった議員の姿がある。選挙という機会を通り抜けるため、様々なかたちの支持があるのは当然のことである。極端なことをいうならば、タバコ喫煙推進やパチンコ推進を掲げる候補者がいてもいい(当選するかどうかは知らないが)。

ここで議員定数のことを検討するにおいて留意すべきは地域(コミュニティ)によるものが、さらに(a)市内全域、(b)自治会や町内会、(c)学区単位に区分可能な点である。

コミュニティとしての意見を代表として議会に届ける責務、というのは一定程度認める必要性はある。しかしこれが適切であるかどうか、ということをひとつのわかりやすい例をあげて考えてみることにする。

(これは仮想の物語なので、誤解しないでほしい)北名古屋市議会の本会議で、議員の住む地元町内のたったひとつの生活道路の陥没を取り上げて、その箇所の修繕のためだけに補正予算を組むように意見をした、とする。

果たしてこれは議会として適当な議論の材料だろうか?
おそらくほぼすべての方は「不適当」だと判断されるだろう。

なぜか。

議会として市の代表者が集まる中で議論するには利害の範囲が狭すぎるからだ。

それでは対象が市内の幹線道路の陥没であったらどうだろうか?
それはおそらく誰もが認めることになろう。

では小学校の登下校でつかう通学路であれば?
これもおそらく認められるだろう。

では自治会区のなかの主な生活道路あればどうか?
北名古屋市ではちょっと違和感がでてくる。

つまり、議会のなかで取り扱われるべき地域性の問題で、おおよそ議員全員が本会議の場で議論するにふさわしい、と思える話題の許容範囲は、小学校区規模であるといえる。

北名古屋市にある小学校は全部で10校。均等とはいえないが、おおよそバランス配置されており、単純に全住民人口を10学区で割った1学区あたりの人口はおおよそ8200人。地縁のコミュニティの成功のための条件は、顔と顔が認識できる人間関係が構築できることといわれており、この小学校区規模というのは極めてそれに近いエリアと人口を規定している。

結論:議員定数は1小学校区あたり1議員

一般に、一度に議論のできる人数は8名が限度、といわれる。議員定数10名というのはその数に極めて近い。地方都市の1議員あたり5500人規模の人口といわれているから、議員定数を求めるにあたって、北名古屋市ではこの小学校区あたり1議員を定数とする定数10名というのは、地域代表性を加味したうえで、それなりに根拠のある数字として捉えることができ、また充分に住民の代弁機能を果たしうる。

私はこのように考えていますが、市民の皆さんのご意見はいかがでしょうか。

補記

議員報酬や政務調査費について
上記の機能を満たすために適正規模の費用が事後決定的に決まるのであり、費用面から制約をすることは、議会の本質的機能を損ねる恐れがある。

また報酬審議会における意見として、議員年金制度が廃止されて手取りが増加しているのでその分下げてもよい、という意見は誤解されている。制度廃止により将来に対する安定感は失われ、若年層の政治参加はさらに危機感を増した。しかし以前の制度設計を考えるとそもそもの3期12年という考え方が間違っており、積み立て式が妥当であったと考える。これをお手盛りと批判されることには異論は無い。

手取り30万を超えているのは多いとの意見もあるが、厚生年金などの積み立てを終えた年齢層ならばともかく、若年議員の多くは、それ以上の手取りと社会保険のしっかり整った民間企業に勤めることを選択できるであろう逸材が、志があって地方議会に身を投じているのである。そうした人材確保のための競争原理からしても、また現在の議員報酬のみで将来設計を立てるのであれば不足である。

費用と議員活動の活発化との逆進性
国税庁は議員報酬を給与所得として取り扱っており、そこにかかる経費を認めていないことも指摘しておく。議員として多くの意見を聞くことはあたりまえであり、そのために多彩な活動で交際を増やすほど議員個人への負担感を増すことになる。つまり議員としての活動量と負担に逆進性がある。報酬という限られた中から許容される範囲でバランスをとって活動しているともいえる。河村名古屋市長が議員報酬800万という旗を掲げた減税日本の候補者選びのなかで「他に収入のあること」を条件にしていたのは、議員報酬だけで議員活動と生活を両立することができない、ということを彼がよく知っていたからであると考える。

政務調査費による議員活動の充実
政務調査費というしっかりした使途制約の枠組みをもって、地域課題の解決に向けた、議員個人の力量と資質向上に寄与することは更に推進すべきである。ただし視察については、観光旅行と批難を浴びるといったことが散見されるため、委員会視察を含めて、現況のあり方を厳しく見直すことも必要であろうと考える。

参考:議会=政策形成機関」モデルと「議会=コントロール機関」モデル
http://houmu.h-chosonkai.gr.jp/siryoukan/fukusi5.htm

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コメント

  1. 議員定数と報酬などを取り扱う、議会改革推進協議会が明日の午前に開催されます。

    北名古屋市における私の考えは、1小学校区=1議員、というのが議員定数として適当だと結論しましたのでここに投稿しました。

    かなりスパイシーな批判を展開していますが、ご意見いただければと思います。

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