前を向こう

新型コロナウイルスの流行が起きたこの一年は、世界中の人々に変化を強制する一年となりました。

これまで当たり前に家族や友人同士で食事をしたりお酒を飲んだりと、楽しく過ごしていた時間を持つことが憚られるなど、いったい誰が想像したでしょうか。

新しい生活様式を日本社会がおおよそ受け入れた今、これまでと全く違う生活に違和感も感じながら少しずつ世間は慣れてきたようにも見えます。

しかしここにはひとつの分断が産まれました。自分と他人をくらべて、その行動を批難する風潮が強くなっています。これがエスカレートしていきやしないか、ずっと胸に引っかかってきました。

リスクを最小限に抑えるため自宅内でもマスクを着用するのが当たり前だ、という人もいます。一方でリスクは一部許容していつもの顔ぶれでの会食を続けている、という人もいます。

感染リスクをもっとも重視すればみんなが閉じこもればいいのかもしれません。しかしそれでは社会を回す仕事さえ滞ってしまいます。飲食店や旅行業に限らず、日常的だった経済活動が止まる事で生活の糧を失う人もたくさんいます。

他人に自分のルールを押し付けることが果たして正解なのでしょうか。

テレビをつければコメンテーターが良いとか悪いとか言っていますが、それをそのままあなたの目の前にいる人に投げかけるとき、それは適切な言葉でしょうか。

コロナウイルスの前には人それぞれの生活と事情があることを忘れないようにしながら、それぞれの暮らしを守り、感染リスクを抑える新しい生活様式でこのお正月をお過ごしいただければと思います。

さて、自分自身のことを振り返ると今年は本当に自分の人生で一番大きな変化のあった一年になりました。

正月明けの1月半ばに、私のことを何より大切にしてくれた父が心不全で入院し、そしてそのまま家に帰ることが叶わず亡くなった2月。

妊娠中の妻と病室に見舞ったときに「良いお母さんになるね」と自分の身体のことなどそっちのけで、優しい言葉をかけてくれた父の笑顔。

苦しそうな呼吸を続けていた前日からうって変わって呼吸が穏やかになり、ちょっと安心したその日の翌日、朝から病院からの電話で状態が悪化した、との連絡。優しかった父は孫の顔を見ることなく、2月3日に旅立っていきました。

そんな父が生前、夢を見たそうです。まだ妻が妊娠したかどうかもはっきりとしていない時期に、外国人みたいな小さな女の子と歌を歌ったりして遊んだ、と。

人は死ぬと彼岸の向こう側に行くといいます。しかしもうひとつ、生まれる前は彼岸の向こう側にいるというような話を聞いた事がありまして、ひょっとして死期の迫っていた父がひと足先に孫に会っていたのかな?と思えてなりません。

娘は無事に9月3日に無事に生まれました。女の子ということで、妻の名前に繋がる名前で外国の人にも呼びやすい名前にしたい、そんなことを考えて、妻の母のまゆ、その糸から織りなす紗羅(布)、と名付けました。

紅白歌合戦を横目にこの文章を書いている隣のベビーベッドでスヤスヤと寝ている姿は何者にも変えがたいものです。

自分は父を失い、そして父になりました。

ただまだ立場として父になっただけで、父とはどういうものか、親とはなんなのか、まだ手探りで探している途中です。

コロナで在宅機会が増えたから、家族と一緒の時間がたくさん取れるようになりました。

ミルクを与えたり、オムツを変えたりする作業は悩むことはありません。最初は戸惑った入浴も今では気軽に楽しくしています。

一方で、いくらあやしても泣き止まない時もあります。また明け方にミルクを求めて泣いたりと、浅い睡眠が続いて寝不足と疲労感が続いています。子育ての楽しみも苦労も味わっています。

子育ての先輩の方々からは、今しか味わえないことだからしっかりと噛み締めておくんだよ、あとでいい思い出になるんだから、とアドバイスをいただいてまさに実践しています。

しかしながら緊急性の低い仕事のことは優先順位がぐっと低くなってしまいました。

次に繋がる、そんな地力をつけるための仕事。

つい先日、同級生が出版した経営書を拝読して、一番大切なことだと書かれていて、胸にグサリと刺さりました。

来年は、次に繋げるための仕事について、腰を据えて取り組みたいと思います。

それでは年越し、皆さま良い年をお迎えください。

23:59 桂川将典 拝

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