先ほど開催された北名古屋市国際交流協会の通常総会で新年度の事業計画が発表・承認されました。
朝鮮半島の情勢が不安定さを増している、そんな情勢下であったことから2017年度は韓国ムアン郡との中学生国際交流プログラムの実施が見送られております。
国内問題の捌け口を日本にすり替えることをたびたび繰り返してきた近隣諸国の政治姿勢や反日教育は好ましくないものですが、とはいえ、日本の働きかけ、とくにこの直近の周辺諸国との関係性の変化に対して、後手に回っているように感じています。
さてこの2018年度に向けて、北名古屋市国際交流協会と北名古屋市の共催により、新たに台湾との交流を探るべく草の根交流スタディーツアーを実施する旨の事業計画が本日の総会議案として認められました。
昭和初期に台湾の灌漑開発に尽力された八田興一さんのお子さんたちは愛知県にお住まいで今も現役でご活躍なされています。
北名古屋市も10年ほど前に中壢市(現在の桃園市中壢区)からの行政視察団を受け入れた経緯もあり、合併前は市内のボーイスカウトやロータリークラブとの交流もあったものが途絶えてしまっています。
日本に友好的な国民も非常に多い台湾。台湾の高校生では第二外国語として日本語を習う人がいちばん多いとも聞きます。
食文化としても味付けは日本人好み、暖かい気候で6月からは南国フルーツが種類豊富な台湾。日本からの観光客には圧倒的な人気を誇っています。また近年ではスマートフォンなどの電子デバイスの世界的企業が台湾経済の活性化につながっているようです。
わたしは途絶えてしまった台湾交流の復活を図り、昨年の5月に自費で渡航し、中壢区の林香美区長との面談を果たしました。
台湾は海峡を挟んだ対岸の中国との間で歴史的に大きな摩擦を抱えています。それが故に国際社会で「ひとつの中国」という建前の下、国際会議から外されてしまうなど不利益を被ってきました。
私は台湾の政治的歴史を学び、民主化運動という言葉には多くの人の命と血が犠牲になったことを知っています。
我々現在の日本人が当たり前に享受している基本的人権はもとより、発言の自由すら許されなかった時代が、ついこの前まであったのです。
私たちは台湾の夜市など観光を楽しみに訪問していますが、その背景にある歴史も学ぶと、観光にも一段と深みが増してきます。
温故知新。新たな時代を迎えるためには、いまの自分たち自身の足元が、これまでの先人達のどんな努力によって支えられているのか、これをちゃんと知る必要がある。
そのように私は考えています。
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